「(まぶたの下で瞳を痙攣させて)いや~んばか~ん、そこはおイドなの」
「あっ。小鳥猊下が張りついた白痴の微笑みとともに薄目を開けて自身の無意識を探索なさっているぞ」
「(着物のすそをまくり上げて)猊下、私のおイドも使って!」
「(まぶたの下で瞳を痙攣させて)いや~んばか~ん、そこはおイドなの」
体育館。整然と並べられたパイプ椅子。その一番後ろに少女が一人座っている。他には誰もいない。演壇には、ひどく痩せ衰えた男。演壇の隣には、袴姿の男と着物姿の女が立っているが、その様子はひどく人形じみて生気を持たない。演壇の痩せた男、細かく痙攣する手で水差しを取り上げ、盛大に零しながらコップへとそそぐ。コップの中身を飲み干すと、男の手の痙攣が止まる。男、咳払いして痰をきる。少女、立ち上がって拍手をする。男、かすれた、そしてろれつの回らない声でしゃべり始める。
「まァ、俺が言うのはエヴァンゲリオンだ。8割、9割、エヴァンゲリオンだと思ってもらってかまわねえ。俺はじつは不感症で(甲高い笑い声を上げる)、いままであんまりすごいとか感じたことがねえから、もう8割、9割、俺が言うのはエヴァンゲリオンだと思ってもらってかまわねえ。あー、実存の可能性としては、2つあると思うんだな。ひとつの実存は、永遠の命と知恵を持っている。こりゃ、もう神様だな。もうひとつの実存は、知恵も永遠の命も持っちゃいねえが、死というプログラムによって種としての存在を永遠へと連鎖させる。これは植物も含んだ、生物全般のことだな。人間ってのは、(コップに水差しからそそぎ、飲み干す)どっちにも当てはまってねえよな。知恵というのは、死と同居しにくいんだ。本能は死を理解するが、知恵は死を本当の意味では理解できないからな。それに、知恵ってのは、単発なんだよ。受け渡せない。ドストエフスキーが死んだら、また次のヤツは一から始めなきゃならねえ。人間ってのはその意味で、存在を続けること自体が奇跡的な、言ってみれば奇形に過ぎないんだな。なぜっておまえ、知恵は死と同居しにくいからな。だからさ、親子の情とかさ、そういうのは生物の側に属するものなわけだろ。その反対で、なんでもかまわねえが、例えばいまおまえたちがここで聞いてるダベりは、知恵だろ。神様の側に属するもんなの。だからさ、わかるかな、若いうちは、死ぬことが近くないから、知恵なわけよ。親が俺の感性を理解しないとか言って、飛び出すのよ、例えばさ。なぜかってえと、知恵だからさ。それがさ、ある程度年とってくると、生家に戻ってさ、お父さん、私が悪ゥございましたァってな演歌で泣き崩れて、父親は父親で一番いい羊を屠るわけよ、息子のためにさ。なんでって、お互い死が近くになってっからさ。もう二人とも生物なんだよ。(コップに水差しからそそぎ、飲み干す)こんな具合にさ、一生のうちに神様と生物の間を行ったり来たりすんのが、どっちつかずの人間のバランス取りなわけよ。俺、バランス取りって言葉よく使うけどさあ、神様と生物の間のバランス取りってのは、かなりいい例えじゃん。んで、エヴァンゲリオン。宇宙に飛んでったエヴァンゲリオンさあ、あれは永遠の命と知恵と、神様じゃん。神様っつわれたって、本当にいるのかどうかなんてわかんねえから、人間が目に見える次元と形で、哲学やら神学やらの仮定を実在させたのがあのエヴァンゲリオンなわけよ。んで、地球に残ったのが生物と、そして二人の人間な。3つの実存を、正確に言や、2つとその中間ってことだが、人間のうだうだを全部ブッ壊すことで仕切りなおして、も一回最初のように切り分けたんだな。壮大な実験が始まるようにさ、どの実存が世界にとって一番ふさわしいんだろう、ってさ(コップに水差しからそそぎ、飲み干す)。
「あとな、文章で人間がわかるんですかって、おまえさあ、わかるに決まってんじゃねえ。言葉が人のカタチを規定しねえってんなら、いったい何が規定するってんだよ、まったく。(コップに水差しからそそぎ、飲み干す)そりゃ、自己防衛の薄ら笑いで、小学生の作文コンクールをひとりでやってるぐらいにはわかんねえだろうよ。おまえな、本当の言葉ってのは、すべての防衛とは遠いところにあんだよ。馬鹿なヤツは馬鹿な文章を書くし、軽薄なヤツは軽薄な文章を書く。そんなん決まってんじゃねえか。言葉には、すべての愚かしさと、すべての無知と、そして、(声を低めて)すべての気高さがあんだよ。言葉は、それを書いた当人が気づいていないような、無意識の澱の、その奥底の醜さまで、勝手におまえの言葉を読んだ相手にささやくんだ。(コップに水差しからそそぎ、飲み干す)あのな、本当の言葉を書くためにはな、世界と人間を理解しなきゃダメなんだよ。少なくとも、世界と人間を理解しようと思わなきゃなんねえんだよ。それを、さかしげに人類史や世界や、そういった巨大な流れから切り離された個人の感情だけで言葉を語りやがって。俺たちゃ、お互いみんな違うように見える。けど、少し踏み込んだら、みんな同じなんだ。そして、もう一つその奥では、やっぱり全然違うんだよ、俺たちは。この人間理解の道程をもたどらず、最初に感じる世界への違和感にだけ拘泥した愚かしさで、誰か自分以外の人間に届いてしまうかもしれないここで、言葉を吐こうなんて少しでも思うんじゃねえ! (水差しを取り上げるが、中身が入っていないのに気がついて、床に叩きつける。粉々に砕ける水差し)本当の言葉ってのはなァ、個人の浅薄な意識を超えたところですべてを知っていて、そして外に出したが最後、すべて勝手にみんなに教えちまうんだ、こいつは差別主義者ですよ、こいつは性的倒錯者ですよ、おおっとダンナ、こいつは両親からひどく虐待されていたようですよ、うへへ過剰色欲者、たまんねえ! そしてな、その出歯亀に終わらねえ、言葉ってのは個人の意識をはるか超え、個人が世界へ死にものぐるいでつながろうとするときの、究極の手段なんだよ! (気狂いの目で口の端から泡を飛ばして)その丸裸の恐怖と栄耀を知らずに、少しでもここで言葉を吐こうと思うんじゃねえ! 文章で人間がわかるんですか、だと? おまえの魂胆はまるわかりなんだよ!(絶叫し、演壇をひっくり返す。演壇の倒壊する、もうもうたる粉塵の奥から姿を現し)いいか、よく聞け、俺は常に答えを出す。まァ、本当はどっちかなんて誰にもわかんないんだけどね、なんて腐れた防衛の言葉で、俺は答えを、真実を濁らせたりはしねえ。ここで独白に終わらねえ言葉を吐こうとおまえが少しでも思うのなら、おまえが何者であれ、例え間違っていようとも、何か答えを出さなきゃなんねえんだよ! (一瞬の静寂。ゆっくりと)俺は、答えを出す。その瞬間瞬間に俺が見い出し、確かにそうだと信じた答えを、世界という名前の莫大な問いかけへの答えを、おまえたちがどれだけ耳を覆おうとも、俺はひとりで叫び続けてやる! そして時々に形や位相を変え続ける世界へと、決死の丸裸でむしゃぶりつき、俺の言葉で噛みやぶり、引きずり出し、咀嚼して、耳をふさぐおまえたちの上に嘔吐し続けてやる! 俺が弱くなり、荒れ野に朽ち倒れるそのときまで、俺は究極の答えを、嫌がるおまえの口の中に無理矢理ゲロし続けてやるって言ってんだよ! この終始薄ら笑いの白痴めが!(喉の裂けた血煙を吹く)
「(拍手をしながら近づいてくる少女の姿に気がつき、脅えたように)どうだった、今日の講演は?」
「(小動物へ向けるような、この上ない優しい微笑みで)良かったわ。とても良かった」
「(突如激し、少女を突き飛ばす。整然とならぶパイプ椅子の列へ、倒れこむ少女)そんな、つたないセックスをした客をなぐさめる商売女のような調子で、俺に話しかけるんじゃねえ!(散乱したパイプ椅子の列から、少女の髪をつかんで引きずり出す。大きく振りかぶり、平手。そしてまた平手)」
「(赤く腫れたまぶたに、切れた口の端から血を流して、棒読みに台詞を読むように)自分の感情と行為の非を、心が理解してしまわないために、逃げるようにさらなる激情に身を任せる(髪をつかまれたまま、目だけを動かして男を見る)」
「(慌てて少女の髪を離し、脅えたように背を向ける)何が講演だ! こんな誰もいない場所で、何が講演だ! あいつら、俺を誰だと思ってんだ!」
「(両膝に手を当て、自分を支えるように立ち上がり)『猊下の虚構力が弱まってきている』、そう言った人がいたわ」
「(激しく振り返り)弱まってなんかいねえ! それを証拠に、見ろ! (男、演壇の横に立っている着物姿の女に向けて指を鳴らす。女、それに応じて着物のすそをまくりあげる。かすかな狂気を思わせる様子で目を剥いて)どうだ、これでも弱まってるって言えんのか!」
「(哀しそうに首を振る)あれには魂が入っていないからよ。自分でも、もうわかってるんでしょう? 魂を持ったものたちは、みんな行ってしまったわ。ドラ江さんも、D.J.FOODも、パアマンたちも、CHINPOも、みんなここから行ってしまった」
「(両耳をふさいで)違う! あいつらは、全員俺が殺したんだ」
「(淡々と)ここに誰もいないのは、あなたがいつからか殺せなくなってしまったことに、みんな気がつき始めたからよ。どうしてかは知らない、あなたは自分が生み出したものたちに対して、真摯にならざるを得なくなってしまった。いつの日からか。(哀しそうに)そう、いまのあなたにできるのは、せいぜいが魂の無いものたちに猥褻な行為を強要するぐらいのもの」
「(一瞬サッと顔を紅潮させるが、すぐに泣きそうな表情になって、その場にくずおれる)知ってたよ……魂があるものたちに対して、俺は俺の虚構力を及ぼせなくなっているのに、とっくに気がついていた。俺ができたのは、せいぜいかれらの様子を詳細にスケッチすることぐらいだけ」
「(憐れみの視線で)あの人が言った、あなたの虚構力が弱まってきているという言葉。でも、それは正確じゃなかったのね。少しでも魂を持ったものたちは、あなたの指の間からすり抜けて、ここからおりて行ってしまう」
「だからといって、いったい何を変えることができるっていうんだ……俺だって、たくさんの一人に過ぎないのに(両手に顔を埋める)」
「(近寄り、優しく肩を抱き寄せて。勇気を奮い起こすように)もう、やめましょう? あなたが自分の中に生まれた、魂への真摯さを裏切りたくないのなら、もう、やめましょう。ここで行われていることは、あまりにあなたのその気持ちを裏切っているわ」
「(すがるような表情で顔を上げて)江里香」
「(右頬にゆっくりと涙を伝わらせて)私をまだ、名前で呼んでくれるのね」
「(苦悩に顔を引き歪めて)それは、無理なんだ。何度そうしようと思ったのかわからない。でも、それは、無理なんだよ。本当に」
「(歌うように)じゃあ、私を殺しなさい」
「(予期していた絶望に悲鳴を上げて)江里香!」
「私を殺して、あなたの持っていた虚構力をわずかでも取り戻しなさい。そうすれば、あなたはここで多少長らえることができるでしょう。それができないのなら、(いまや滂沱と涙を流しながら、両手を広げ)私といっしょに、ここをおりて」
「(ほとんど音にならない悲鳴で)あ、あ、あ……ッ(両手の指を額に食い込ませる。裂けた皮膚から血が流れ出す)なぜ、どうして、いつのまに、こんなことに……!」
一人の痩せこけた男が、入り口の扉へ身体をぶつけるようにして出ていく。男が出ていった途端、演壇の横に立つ二人の男女が、糸の切れた人形のようにくずおれる。誰もいなくなった体育館の床に転がる少女の生首。長い髪の毛に隠されて、切断面は明らかでない。ほとんど生きているように見えるその顔は、まぶたを閉じて、すべてから解放された永遠の安らかさをたたえている。